46 夏のメモ 避暑

 

 

 

標高1440メートルで避暑

 

 

 電車を降りたらバスに乗る。寡黙な運転手は、寡黙なのにもしくは寡黙だからこそ、山あいのくねくねとした狭いカーブへほとんど減速なしで入っていき、上りも下りも関係なく猛スピードでつっ走る。大きなタイヤにうんわうんわと押し上げられて、身体がジャンプする。そのたびに座席からはみ出ないように手すりにつかまるが、乗客は皆なんということもないという澄ました表情で揺られている。

 

 村の教会の塔と石造りの家々が見えてきたら到着。少しむかしに改修工事が終わった塔は、石造りに見えるだけのただのコンクリート製なのだといって、ご老人の紳士が嘆いていた。どう思う?美しいと思うかい、あれが?と、遠い街から訪ねて来た人間に話す。この涼しい村の、独自の言語は話せないが挨拶ぐらいは覚える、例えばブンディは「おはようございます」。

 

 朝は肌寒い。昨日までコンクリートだらけの熱帯夜のなかでうんううんうと寝返りばかりうっていたのが嘘のように、気持ちよく眠る。

 

 ある夕方の雨のあと、部屋の窓のすぐ目の前に大きな虹が現れた。じっと見ているとその力強い色彩世界に吸い込まれて、戻ってこれなくなるように思えるほどだった。虹の光を受けて、まだ降る小雨に、白いお腹を差し出して急降下したり羽根をぱたぱたと広げ急上昇したりして、神様へ捧げる喜びの踊りのように空を舞うツバメの愛らしさ。まるでツバメにあたる雨粒ひとつひとつのすべてがひかり輝いて見えてくるようだった。一週間、ツバメばかりを観察していた。ホテル近くの陶器屋さんで、ツバメの模様が入った赤いマグカップを買った。

 

 ほどよく安全に整備された山の散策道を、高地の野草や虫など見て楽しく歩く。高くそびえて眼前に迫るほどの山々を眺め、一歩ずつ近づけば近づくほど遠のいていく不思議な遠景を追いかける。きっとあの山の向こうのもっと遠いところに、私のかえるべき場所があるはずなのだという透き通った焦燥を、化石のように刻まれた記憶のどこかが知らせてくる。

 

 小さな村には店が少なく、夕食はいつも滞在先の小さなホテルのレストラン。連泊の客同士は気がつくと顔見知りになって親しげに話す。そうね、あの道のずっと先に有名な谷があるのよね、そうです、確か幽霊が出るっていうので有名な老舗ホテルがあるんですよね、あ、そうね、そういえば私むかしそこに娘と一緒に泊まったことあるけど、何にも現れなかった、ああそれはラッキーでしたね、ううん、もし来ても私は話はできると思うから問題ないと思うんだけど、へーえ、それはいいですね、ちなみにどの言語で?、ふふふ、そうね、言語は要らないかな。

 

 

 天気の良い夜には、ホテルの小さな庭で夕食をとる。その日は、いずれ雷がなって強い雨が降りますよという天気予報。空は未だ青く、こんなにおだやかなのにホントかな、最近の天気予報は外れることが多いけど、なんて空模様をチラチラ気にしながら食事する。山の天候は変わりやすい、というのはただの言い伝えではなく現実としてほんとうのことだ。

 

 ほんの少しずつ風が強くなり雲に暗い色が見え始めると、料理を運んでくれる人もビクビクしだして、降り出したらすぐに室内に移動しましょうなんて言いだす。すると隣の席の、実に姿勢の良いキリッとした若い女性が料理を口に運びながら、大丈夫、雨は降りません、降らないったら降らない、それでいいんです、と言った。なるほど、信じましょう、と私たちも唱える。降らない、降らない。無事に世界は乾いたまま、デザートと食後のエスプレッソも終えて、ホテルの近所で犬を少し歩かせてから庭にもどるといよいよザザザと雨が降り出す。姿勢の良い女性夫婦はすでに食事を終えて部屋に戻っているようだった。降らない、の呪文は少なくとも私たちの食事時間には有効だったらしい。翌朝、朝食の部屋に入ると朝からすでに姿勢の良い若い女性が、いたずらっぽい笑顔を向けて言う、ね、大丈夫だったでしょ。今夜も雨が降りそうだったらあなたがいてくれたら心強いんだけどと冗談まじりに言ってみたが、このご夫婦はもう今日旅立つらしい。がんばってね、と少しからかうような表情で、若い女性は姿勢を崩さずに笑った。

 

 

 赤いマグカップを買ったお店で、ショウケースに飾られていた丸くて大きな水差しに一目惚れをした。注ぎ口と首、そして取手の部分が赤く、白い胴体には、村に昔から伝わる、お守りのような意味のある絵柄が施されている。陰陽の太極図によく似たものや、宇宙の法則を思わせるもの、ヤギや鳥などの動物や花、妖精のような架空の存在に至るまで様々な模様と意味がある。この村の古い家屋の石壁にはそれらの模様や詩などの言葉が刻まれている。一族の平和と繁栄を願って。

 

 どうします、この蓋つきにしますかと言うので見ると、女主人が松の木で彫られた大きな松ぼっくりのオブジェを掌の上にのせていた。これを水差しの蓋にしておくと、中に入れている水に松の香りがほんのりうつって美味しいですよ、体内の循環もよくするとか言われてますよ、と。その陶器は製作過程で手が滑って、思わぬところに赤い塗料がついてしまったから本当は売るつもりはなかったんだけど、と言ってかなり割り引いて譲ってくれた。

 

 村の広場で帰路のバスを待っている時、またこのホテル来る?と、幽霊と話すことのできる女性客に訊かれたので、はいまたきっと来ます、この村も小さなホテルも好きなのでと答える。どうして好きかというと、ホテルのいたるところにたくさんの本が並んでいるし、地下には小さな私設美術館もあるし、いたるところにシャイデッガーが撮った芸術家たちの素敵な写真が飾ってあるし、居るだけで気分が良いんですよ、と私は聞かれてもいないのに続けて話す。女性客は、ホテルについてはなんにも反応せず、少しの間じっと私を見つめて、落ち着いた優しい声でこう言った。

 

 察するにあなた、ビブリオフィアでしょう。

 

 幽霊と話すことに躊躇しない人が、多くを語ることなくビブリオフィアという私の内部の一面を視てくれたことは、私にとってこの上ない賛辞であった。そのあと一緒にバスに乗って、登山のために途中下車していったその女性客夫婦に、私は猛スピードで発進するバスのなかから満面の笑顔で大きく手を振り続けた、女性客も心なしか名残惜しそうに、ずっと振ってくれていたから。

 

 

 

 

 

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